滝川第二サッカー部時代の物語 【後編】
前編👇👇👇
https://to-macchi.hatenablog.com/entry/2018/09/02/182609
【入学して卒業するまでの物語】
入学してすぐ練習が始まる。
てか入学する前から練習には行ってた。
滝二に来てる奴らは全員全国出て活躍してやるって奴らの集まり。
そんな奴らとの高校生活が始まった。
もうな、最初の頃は凄かった。
なにが凄かったか?
それはね、もう毎日喧嘩。笑
1年同士で。笑
毎日どこがで誰かが必ず喧嘩してる。笑
俺も練習中も何回も喧嘩した。
俺の方が上手い、お前の方が下手とかそんな言い合いもあった。
もうみんな負けん気強いから最初からバッチバチ!!
ピッチの外でも中でも。
漫画みたいやけど、本間にガチで毎日やねん。笑
あとちなみに先輩がめちゃくちゃ怖い。笑
もうビビリまくってた。笑
上下関係半端なかったです。
1年生大会みたいなんが入学してすぐあって、その時俺は試合に出れてた。
ただな、神様って本間イタズラ好きやな〜思うけど、俺はまたしてもすぐに怪我。
シンスプリントっていう、スネの骨と筋肉の間の筋膜が炎症して痛みが出る怪我。
ひどい時は疲労骨折にもなる。
でも中学ん時にどん底から這い上がった経験があったから俺は強かった。
入学してしばらくしてすぐ怪我人生活のスタート。
みんなが練習や試合で頑張ってる中、俺はドリンクを渡したりボール拾いをしたり、そんな風な役目を頑張ってた。
でもそれも一生懸命やった。
1年生の間はほぼ怪我で終わった。
ちなみに1年生の時、3年生の先輩達が冬の高校選手権大会で全国優勝した。
それを見てみんな全国優勝も出来るって思えたと思う。
そんな感じで2年生になった。
2年生になったら1個上の学年で試合に出る人も出てくる。
だから同い年でも差が出てくる。
そんな中俺は怪我が治っては、また怪我をするっていうサイクルをずっと繰り返してた。
俺の怪我はもう慢性的やったから、痛くなくなるには練習をしないことしかなかった。
でも勿論練習しなかったら試合なんか出れるわけがない。
でも滝二の練習はマジくそ鬼ハード。
走り込みもエゲツない。
一生走って走って走りまくる。
胃に穴あいて血吐いたやつもおった。
めちゃくちゃハードやったから俺はそんなハードな事を続けると必ず怪我が再発してた。
それでも試合に出たい一心で痛くてもやり続けてた。一回疲労骨折の手前までいった。
そんな風に2年生も終わった。
そしていよいよ迎えた最終学年。
3年生になってすぐ新人戦がある。
俺はその時はといえば、またしても怪我。
怪我やからメンバーにも入れない。
ひたすら応援団として声を出した。
プレーすることさえも出来ない悔しさ。
土俵にも上がれない。
それでも今の俺が出来ることをやるしかない。
そう思ってた。だからひたすら応援して、ボール拾いをして、ドリンクを作って渡して。
そのポジションが俺の定位置になっていた。
俺はなにをしてるんやろう?
そんな事を思う時もあった。
中学の時よりサッカーを出来てない現実。
怪我ばかりの自分。情けない。
そう思う時もあった。
でも拗ねてもグレてもなにも変わらないことはもう中学で嫌になる程経験した。
だから自分のやれることをやり続ける。
それしかなかった。
そんな中夏のインターハイが近付いてきた。
滝二のサッカー部って選手の決め方が変わってるんよ。
普通は登録メンバーを監督が決めるやん?
でもそうじゃない。
滝二のサッカー部は全選手同士の投票で登録メンバーを決めるねん。
3人だけ監督が推薦して決める。
登録メンバーは25人。
1年生〜3年生で総勢約80人。
俺らの代は27人か28人おった。
だからもし全員3年生が選ばれても2.3人は入れない。
そんなシビアな投票制度。
なにがシビアかってさ、言い訳出来んよな。
監督に嫌われてたから出れんかったとか、そんなん言えへん。
嫌でも自分の力を受け入れるしかない。
そして俺は勿論メンバー外。
またしても怪我。
土俵にさえまた上がれなかった。
悔しいというか情けないというかなんなのかこの気持ちは。
投票する前から分かりきってる答え。
土俵に上がれない現実。
そんな気持ちを抱えながら、いざ始まったインターハイ兵庫県予選。
滝二はまさかの兵庫県予選ベスト8で敗北した。
その時のチーム状況は最悪だった。
マイナス発言の連発で険悪なムード。
チームはバラバラ。個々の能力は高くてもチームとしては最悪だった。
そして夏のインターハイも終わり、俺達に残された最後の全国への切符は冬の高校選手権のみ。
これがラストチャンス。
夏から冬にかけてまた練習や試合が始まり、メンバー争いが繰り広げられた。
ある日最悪なチーム状況の時に、スポーツ心理カウンセラーの人がやってきた。
その時に言われた事は、「練習や試合中のマイナス発言一切禁止」
そして試合前の円陣を組む時に、みんなで手を繋いで”できる"という言葉を20回全員で言うということ。
そこから劇的にチームが変わった。
マイナス発言や文句がなくなり、雰囲気が変わった。一体感とはこういう事かと肌で感じた。
チームが波に乗ってきた。
そして俺自身にとってもラストチャンス。
1年生から今までずっと怪我ばかり。
でもまだ諦めてない。諦めない。絶対に。
絶対に俺はメンバーに選ばれて試合に出てやる!って本気で思ってた。
そして冬の高校選手権が始まる約3ヶ月前ぐらいにやっと怪我が治った。
治ったって言ってもまたハードな練習したら怪我するのは分かってる。
やけど3ヶ月なら足が潰れても良いって思った。
この3ヶ月で技術とかは上達せえへん。
やけどやれる事は絶対ある。
そう思って、毎朝誰よりも早く自主練して、毎日遅くまで残って練習をする。
それだけはやりきろうと思った。
それから毎朝5時半頃に起きて7時にはグランドにいく。冬だから朝はグランドが凍ってる。
その後授業に出て、授業が終わればまた練習、そして練習終わりも自主練をする。
もう必死やった。やれることやるしかないと思ってた。
やることやって無理だったらしょうがない。
でももっとああしとけばって後悔するのは嫌やった。
そんな風に3ヶ月やりきった。
そしていざ冬の高校選手権兵庫県予選のメンバーの投票日がやってきた。
1年生〜3年生の全員が投票をする。
そして投票してから投票結果発表まで約2週間。
その間の2週間は本間に毎日のように投票結果が夢に出てきた。
落ちてる日もあれば入ってる日もあった。
初めて土俵に上がれた。
今まで土俵にさえ上がれてなかったから投票結果は発表前から分かりきっていた。
でも最後の最後で初めての緊張。
そして投票結果発表の瞬間がやってきた。
ボード前に1枚の紙が貼られる。
緊張の瞬間。心臓が張り裂けそうな感覚。
自分の名前を探す。
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・
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・
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・
あった!!!!
本間に夢か現実か分からなかった。
やけど確かにあった。
嬉しいというよりもなんとも言えない感情。
入った人もいれば入らなかった人もいる。
それが勝負の世界。
そんなんみんな分かってる。
だから俺は嬉しいけどなんともいえない気持ちだった。
でも入ったからにはやるしかない。
入ったからには試合に出てやる!
そう思ってた。
【高校生活最後の大会】
そして遂に高校選手権の兵庫県予選が始まった。
初戦のアップ前に教室でモチベーションビデオっていうのを見た。
メンバーに入れなかった3年からの応援メッセージ動画。
3年間家族よりも同じ時間を過ごした仲間達。
全員手を抜いたヤツなんかおらん。
みんな必死にやっていた。
それでも勝負の世界。
一生懸命やった。だけどメンバーに入れない気持ち。俺も経験した。だからわかる。
そんな仲間が悔しさを抱えた上で応援してくれる。
その悔しさを抱えた上で応援ってなかなか出来ひんくないか?
そんな姿にみんなが試合前に涙した。
絶対に勝つ。
みんなスイッチが更に入った。
そして試合が始まり大勝。
俺はベンチで試合には出なかった。
どんだけ点とっても手を抜かない。
色んな人の気持ちを背負ってみんな戦ってた。
応援の立場、ベンチとしての立場、試合に出る立場。
色んな立場がある。
でも今自分の立場でやれることをやる。
自分の立場でベストを尽くす。
だからみんなでベンチから盛り上げた。
ベンチからも一生懸命声を出す。
自分の為に。仲間の為に。勝つ為に。夢の為に。
そんな風にして勝ち進んでいった。
先制されて厳しい試合もあった。
インターハイの時だったら逆転勝ちなんかなかった。
でも逆転して勝っていった。
試合中に勝って泣くこともあった。
まだ試合が出来る。この仲間と。
そんな気持ちだった。
相変わらず俺はずっとベンチだった。
それでも勝ってまた次みんなと試合が出来る事が嬉しかった。
同じ気持ちの仲間もいたはず。
そうやって滝二は決勝戦まで勝ち上がった。
ここで決勝戦。
サッカー部は引退が最後やから学校からみんな観にくる。負けた高校も観にくる。
そしてTV中継もされる。
そんな中試合が始まった。
勿論俺はベンチ。
それでも共に戦う気持ちは勿論120%。
試合が始まるとペースは完全に滝二やった。
試合が終わる10分前の段階で4-0で勝っていた。
もうほぼ全国行きは決定やった。
そして交代枠はまだ残っていた。
ベンチ組はみんな隅っこの方でアップをしていた。いつでも試合に出れるように。
そんな中ベンチからコーチが走ってきた。
これは交代の合図。
アップしてる自分達のところにコーチが来るまでのあいだ距離がある。
みんな誰が出るんや?って話したりしてた。
俺はDFやし勝ってる時にDF変えへんやろうおもて俺じゃないやろなおもてた。
ほんならコーチが俺んとこにきて肩を組まれた。そして一言。
「とうま、出るぞ」って。
俺は少しビックリしたけど、すぐに引き締まった。
ちなみにそのコーチは俺の3年間の担任の先生でもある。
そして俺が怪我で苦しんでトップチームに入れずBチームにいた時からずっと指導してくれてた先生やった。
ある時俺がプレーを出来てたけどトップチームに選ばれなかった時があった。
その時にショックすぎてその先生に
「今日は家帰らせてください」
って言ったことがあった。
そん時にその先生は「今逃げたら一生逃げるぞ。トイレで泣いてきていいから思う存分泣いたら今日中に帰ってこい」
そう言われた記憶がある。
厳しかったけどすごく恩がある先生や。
その先生が俺に肩を組んで少し涙ぐみながら言ってくれた。
「スタンドを見てみ。ベンチに入られへんかった3年生いっぱいおるやろ。そいつらの気持ちを一番分かるのはお前や。だからそいつらの気持ちも背負って全力でやってこい!」
そう言ってピッチに送り出してくれた。
兵庫決勝という最後の大舞台。
そんな大舞台のラスト10分間、俺は高校で初めての公式戦に出場することができた。
これが高校生活の公式戦最初で最後の10分間になった。
試合は4-1で勝って全国行き決定の瞬間に俺はピッチに立つ事ができた。
最高の瞬間やった。
試合が終わった後のロッカールーム。
そこに試合に出れずスタンドで応援してた仲間が来た。
俺の所にも来てくれて
「とうま、お前出れて本間良かったなぁ!」
「とうまが出てくれて良かった」
「俺も全国大会までもっかい頑張って絶対メンバー入る!」
そんな言葉をかけてくれた時、本間最高の仲間やなって感じた。
試合に出れない悔しさがある中でそんな言葉をかけてくれて本間嬉しかった。
もっとこの仲間とサッカーがしたいって思えた!
結局チームは全国大会ベスト16で負けてしまった。
目標の全国優勝までは届かなかったけど、本間ええ経験ができた。最高の財産や。
そして周りの人の支えがあってここまでこれた。
俺は高校サッカーを経て仲間と共に本気で何かに向かって突き進む事の素晴らしさを経験出来た。
そしてそれこそが青春やと。
でも大人になってそんな経験を出来る事は少ない。普通に歩んでいたら。
みんな段々社会というものに馴染んでいく。
安定とか将来の不安とか大手企業とかお金とかそんなものを抱えながら。
まあそれも悪くはないと思う。
人それぞれの人生やから。
でも俺はごく普通にごく普通の人生を歩むのは絶対に嫌だ。一度きりの人生や。
俺は青春を一生感じ続けて生きていきたい。
だから俺は俺の理想の人生を歩んで行く。
高校サッカーこそ人生の軸になってる。
だから今も最高の仲間と一緒にお店をやっている。
これからも俺は俺の生き方を貫き通していこうと思う。誰になんと言われようと。
刺激がない毎日なんてまっぴらや。
高校時代で経験した。
手の届きそうにない高い頂きを本気で目指すから感動が生まれる。
出来そうな事をやっても面白くない。
だから俺は大人になっても何かに夢中になって青春を生き続けてやります。仲間と共に。
そう、あの高校時代の頃のように。